顕正会年表
- '04.5.9(M37年)
- 後の妙信講講頭・浅井甚兵衛 愛知県で生れる
- '26.4(T15年)
- 白須郁三に折伏されて日蓮正宗に入信し、妙光寺所属
- '31.11(S6年)
- 長男・浅井昭衛生まれる
- '42(S17年)
- 東京妙信講創設・講頭となる
- '55(S30年)
- 法道会へ移籍していた妙信講は同会と合併。法道院法華講講頭に就任する。
- '58.1(S33年)
- 東京・妙縁寺に移籍後、妙信講を再建
- '59.4.5(S34年)
- 顕正新聞発刊
- '61.9.1(S36年)
- 機関誌「冨士」発刊
- '62.2(S37年)
- 「富士」2号において、国立戒旦は究極の御理想と掲載。
- '62.7(S37年)
- 法華講連合会結成。浅井親子は加入せず。
「富士」12号において、戒壇建立の地を天母原と掲載。 - '64.8(S39年)
- 法華講連合会に従わず、登山停止処分。
- '65.8(S40年)
- 「すでに広宣流布の時は来ております。」(浅井昭衛本部長 『富士 25号』昭和40年8月号) 【資料➡】
- '65.10(S40年)
- 正本堂御供養開始。妙信講も参加
- '67.7(S42年)
- 日寛上人戒壇造営基金「日寛上人御在職中に授与された御本尊の冥加料金銀合せて三百両を取り出し、この内の二百両を金座の後藤という人に依頼して吹き立ての小粒金に両替して宮に入れ封印して御宝蔵に納め置き、事の広宣流布の時の本門戒壇造営の基金とされた。」(『富士』昭和42年4月号) 【資料➡】
- '69.8(S44年)
- 正本堂御供養に際し、日達猊下より袱紗を賜ったことを発表。(「富士」8月号) 【資料➡】
- '70.3.25(S45年)
- 妙信講 「正本堂につき宗務御当局に糾し訴う」を送る。
- '70.6(S45年)
- 妙信講 6年振りの総登山 2,000名。
- '73.2(S48年)
- 日蓮正宗の正統なる所以は実に御本尊と血脈にまします。世に大聖人を尊崇する者多くありとも、この大事を知らねば結果は師敵対謗法の罪に堕する以外にない。(「富士」2月号 浅井本部長発言)
- '74.4(S49年)
- 妙信講 御登山願い
「妙信講は昨年より御登山を宗務院に願い出ておりました。ところが今回、宗務院より正式に「妙信講は国立戒壇を捨てよ。さもなければ登山はさせぬ」と云ってまいりました。 国立戒壇を捨てることを承知すればすぐに取り計らうのだそうであります。」(「富士」 昭和49年6月号 浅井理事長発言) 【資料➡】 - '74.4.30(S49年)
- 早瀬総監、日達猊下の意向として「国立戒壇を捨てねば登山は不許可」と妙信講に伝える。
- '74.8.12(S49年)
- 宗務院 妙信講を解散処分に付す
- '74.10(S49年)
- 顕正会員70名が創価学会本部を襲撃。12名の逮捕者が出る。
- '74.10(S49年)
- 日達猊下、松本日仁師に再び本尊返還について指示。(「富士5月号 年表)
- '74.10.12(S49年)
- 妙縁寺の責任役員会(総代会)で妙信講に対する御本尊返還請求を決定。(「富士5月号 年表)
- '74.10.21(S49年)
- 御本尊返還請求の第二回内容証明来る。「応ぜざれば法的処置」と威嚇す。(「富士5月号 年表)
- '74.10.26(S49年)
- 解散・除名の嵐の中に、折伏二百世帯を突破。(「富士5月号 年表)
- '74.11.4(S49年)
- 宗務院 妙信講幹部33名を信徒除名処分に付す
- '74.11.26(S49年)
- 十一月度折伏、三百五世帯に達す。(「富士5月号 年表)
- '74.12.25(S49年)
- 宗務院 松本日仁を本宗の法規違反により擯斥に処す
- '78.3(S53年)
- 顕正寺建立(和光市) 擯斥処分の八木直道が初代住職となる。(2003年廃寺)
- '82.10.9(S57年)
- 「日蓮正宗顕正会」と改称、会長に浅井昭衛就任
「あと25年で広宣流布できなければ核戦争で人類は滅亡」(顕正新聞 昭和57年10月15日号) - '84.4.9(S59年)
- 初代会長・浅井甚兵衛死去
戒名「直達院護法甚道居士」 - '90.7.8(H2年)
- 「近き将来、日目上人御出現のその日まで、大石寺を清らかに御守護申し上げることこそ、守護付属を受けた日蓮正宗信徒の責務であります。」
「百万になれば、日本の広宣流布の終着点が、もうはっきりと見えてまいります。まさに、百万達成こそ、日本の広宣流布のカギであります。」 (第25回総会 横浜アリーナ 浅井発言) - '96.11.18(H8年)
- 宗教法人格取得、「宗教法人顕正会」発足。
- '96.12.22(H8年)
- 「冨士大石寺顕正会」と改称。
- '04.3.5(H16年)
- 戒名不要に変節
「塔婆は一切不要である。御在世においては戒名などはない。熱原の神四郎殿を見よ。顕正会においては戒名などは要らない。御在世に立ち還って、俗名のままでいきたい。いまこのように決めるのは、顕正会は広宣流布の団体だからである」(『顕正新聞』平成16年3月5日号) - '07.8.23(H19年)
- 発足50周年記念幹部大会開催(長野エムウェーブ)