日蓮大聖人に背く日本は必ず亡ぶ
日蓮大聖人に背く日本は必ず亡ぶ
平成9年7月16日発行
P75
日蓮大聖人の仏法を正しく受け継いだ唯一の正系門家は、二柤日興上人が開基した冨士大石寺であり、これを総本山とする宗教法人が日蓮正宗である。そして創価学会は、この日蓮正宗に属する一信徒団体であった。ところが第三代会長(当時) の池田大作は政治野心を懐き、衆議院に駒を進めた。この政界進出に対し、マスコミ・各政党・諸宗から一斉に反発が出た。その批判は、もっぱら学会がそれまで政界進出の口実としてきた「国立戒壇」に向けられ、万国立戒壇は憲法違反だ万という不当・低レベルの非難であった。だが池田大作はこの非難を恐れた。そしていとも簡単に「国立戒壇」を放棄し、俄かに大石寺境内に「正本堂」なるものを建て、これを「御遺命の戒壇」と偽ったのであった。
これがいかに節操なき欺瞞であるかは、曽ての彼の主張を見れば一目瞭然である。
「国立戒壇の建立こそ、悠遠六百七十有余年来の日蓮正宗の宿願であり、また創価学会の唯一の大目的なのであります」(大白蓮華・五九号)
これは大聖人の弟子として正論である。しかし変節した後の池田はこう述べる。
「宗門七百年来の宿願であり、創価学会の最大の目標であった正本堂が、遂に完成する運びとなりました」(大白蓮華・二三〇号)と。
P93
国立戒壇と憲法
この本門戒壇は、広宣流布のとき国家意志の表明を以て建てられるべき旨御遺命されていることから、一般に「国立戒壇」と通称されている。
この国立戒壇について、日本国中の諸宗はもちろん、各政党、マスコミも挙って反対している。
この強き反対に遇って、それまで国立戒壇を政界進出の口実としていた創価学会も恐れをなし、あわてて「国立戒壇」を否定・放棄し、世間に迎合したのであった。
世間の反対の根拠は、おしなべて「憲法違反」というところに要約される。〝憲法は厳重に政教分離を規定しているから、国立戒壇は違憲だ〟というものである。
この憲法は戦後の日本人の魂のごとくになり、殆んど〝平和憲法教〟のような趣きを呈しているっゆえに「違憲」の非難は俗耳に入り易い。どうしてもこの問題は触れておかなければならない。
まず政教分離を定めた憲法第二〇条であるが、この条目が設けられた趣旨は、戦前の日本が国教としてきた国家神道の排除にある。まさしく占領目的の一環として設けられた条目である。したがって、国家神道の毒を捨てさせたということにおいては一応の評価はできるが、未だ三大秘法の薬を用いるという認識はあるべくもない。その前段階の法制というべきものである。
ゆえに将来、全日本人が三大秘法こそ国家安泰の唯一の正法と知る時には、この条目は当然改正される。ちなみに憲法第九六条には改正の手続が定められている。すなわち衆参両院の各三分の二と、国民投票の過半数の賛成があれば改正ができることになっている。御遺命の本門戒壇は、この改正後に建立されるものであるから、国立戒壇違憲説は当らない。